フィルムカメラをはじめたきっかけも、写真の師匠、野田先生の責任です(笑)
Leicaを使い始め、不便さに寛容になった私も、わざわざこの時代にフィルムで写真を撮る人は
よほどの「もの好き」しかいないだろうと、ずっと思っていました。
まず、撮影した写真をその場で全く見ることができないのです。
いくらM9の液晶が残念とは言え、露出ぐらいは確認できます。
しかしフィルムカメラはそれすらできないわけです。
あと、フィルムを入れないと写真が撮れないし枚数制限もあるし
現像にはお金も時間もかかる。
不便さの塊みたいな存在です(笑)
それにLightroomという強力な武器があります。
フィルムライクな仕上げは、プリセット1発で実現してしまうわけですから
わざわざフィルムカメラで撮る必要もなかろうと思っていたのでした。
フィルムカメラは様々なことを考えながらの撮影を強いられます。
しかし、意図がはまった時の気持ちよさは、画像確認ができるデジタルでは味わえない楽しさです!
UNGRAPHY Model sarah
Leica M4/Carlzweiss Biogon 35mm F2/kodak Ektar100
フィルムスキャナーで取込後Adobe Lightroomで編集
実際私は、フィルム風のプリセットを自分で作り、積極的に写真に当ててレタッチをしていました。
ちなみに、写真のレタッチについては、私は写真を仕上げるに当たっては、重要なことと考えております。
撮った写真は文字通りRAWデータ、いわゆる自分が表現したいことの生の素材みたいなもので
それを多くの人に共感してもらうためには、レタッチをして意図を浮き上がらせる必要があると
考えています。
レタッチとは、自分の言葉を多くの人に伝えるための翻訳としてとらえております。
しかし一方では、限界も感じていました。
確かに見た目が変わり、意図が伝わりやすくなるかもしれない。
でもそれはあくまで外見だけの話であり、素材が元々語れる以上のものはそこには生まれません。
私が目指す情景を写すというコンセプトにおいて、表現したいものは無限にあります。
(これについては、自分が撮りたい写真とは-1・2をご覧ください)
そしてその表現したいものとは、基本的には目に見えないもののことが多いのです。
見えないものを写真にどうやって表現するか、それを機材や光やモデル、そしてレタッチなど、
写真を構成するあらゆる要素を駆使して写すことが、私の目指す写真と考えてました。
しかし、自分の作り上げたイメージに、撮影した写真があと一歩、いや半歩及ばないことが多く
悩み始めたのが、今年の3月頃のことでした。
そんな時、いつもなぜか絶妙なタイミングで、野田先生が私に刺激をもたらせてくれます。
「これが、フィルムカメラで撮ったスナップです」
とZOOMで開催されたUNGRAPHYの座談会で見せてくれた写真に、
私が目指す「目に見えないもの」が写っていたのです。
その写真は、どこにでもある風景、何気なく惹かれてカメラを向けたであろうという感じの
撮影者の意図が非常にシンプルなものでした。
しかしそれがフィルムという媒体を通すことによって、撮影者の意図が強烈に伝わってくるのを感じたのです。
それもレタッチで表現する力技のような印象がなく、ごく自然な形で、無理を感じることなく。
その日から時間があるとネットで、フィルムカメラで撮影した写真を見るようになりました。
これは私の完全な私見ではありますが、
フィルムで撮った写真とデジタルとを比べると、デジタルは光景や風景に惹かれたという意図が感じられるものが多く、
フィルム写真は、撮影している時の撮影者の心を写している写真が多いと感じたのです。
そして、2月に行ったソール・ライター展を見ていた時にも、
撮影者の楽しそうな姿が目に浮かぶのを感じたことを思い出したのでした。
フィルムはデジタルと比べて、撮影者が感じていることを写すことが得意なのではないだろうか。
もし、デジタルとフィルムを使い分けて、それぞれの長所を理解し使いこなして、自分の情景を写し出すことができるようになったら
最強になれるかもしれない!と思ったのです(笑)
という理由で私のフィルムカメラライフがスタートしたのでした。
しばらく使っていきながら、フィルムカメラについても今後色々と紹介出来たらと
思いますので、よろしくお願いします!