自分が撮りたい写真とは?-1

おひさしぶりの投稿となってしまいました。
今までは、少し書いては消し、また少し書いては消しという繰り返しになってしまい、
なかなか投稿できるところまで辿り着けずにずるずると今に至ってしまったわけです。

なかなか文章にならなかったのは、時系列的に自分の心情の変化をブログに残しておこうとするあまり
過去の自分の気持ちを書こうとしていたことに原因があったようです。
でも過去の自分に戻れるわけではなく、振り返ったところで当時の心の動きまでは
文章にしきれないことに気づいたので、今の自分、今考えていること、今やっていることを
書こうと思います。

突然ですが、最近フィルム写真をはじめました(笑)

ここで一旦、この1年10か月ほどの私のカメラ遍歴を発表しようと思います。

2018年8月:Fujifilm X-T20(下取りで手放しました)
2019年1月:FUjifilm X-T3
2019年5月:Leica M9
2020年2月:Fujifilm X100F
2020年4月:NIKON NEW FM2(下取りで手放しました)
2020年5月:Leica M4

去年M9を買ったあたりから、私の写真に対する考え方が大きく変わっていきます。


はじめてLeicaM9で本格的に撮影した時の写真。
Ungraphy Model Moriyuka
Leica M9/elmar 50mm F2.8
Adobe Lightroomで編集

私は世代的にはフィルムを知っていてよい世代ですが、写真心が付いた時にはデジタル時代だったので
デジタルカメラしか知りませんでした。
カメラを選ぶ時も、オートフォーカスの精度・高感度耐性・オートホワイトバランスの精度
解像度など、機能が良く、数字が大きいカメラほどよいカメラと考えてました。
そしてその優れた機能が、よい写真を撮らせてくれると思っていたのです。

ところがポートレートを始めて半年ほど経ったころ、自分が撮った写真を眺めながら
「自分が撮りたい写真とは何だろう?」
と考えるようになりました。
そして、憧れの高性能最新機種で撮影している写真家や、購入した方の写真を眺めているうちに
自分が撮りたい写真とは違うことに気づいてしまったのです。
その時、具体的に自分が撮りたい写真とは何か、わかっていたわけではありません。
ただ、「それではない」ということは、確信がありました。

このままいっても、自分の撮りたい写真が撮れそうにない。
つまり、機材のスペックを上げることは、自分の撮りたい写真を撮るための
手段にはならないと考えるようになりました。

そんな時、写真の師匠である野田先生がLeica M8を見せてくれたのです。
最初は、オートフォーカスもなく、暗所に弱く、フレーミングもままならない、
おまけにシャッターを切ると、前時代的な音がする(笑)
なんだか面倒くさそうなカメラだなという印象しかありませんでした。
極めつけは、「なんじゃこりゃ」という液晶画面です。
撮影した写真をまともに確認することもできないとか、ありえないことでした(笑)
それでいて、値段はフルスペックの最新機種の倍とかするわけです。

髪の毛一本ほどの魅力も感じずに、家に帰ってきたわけですが
カメラを始めたばかりの私でも知っている「Leica」というブランドが
何を目指しているのか、なぜそんな不便さしか感じられないようなカメラを買う人がいるのかが気になって、
ネットでブランドサイトやら、実際に使っておられる方のブログを拝見したりしたのが運の尽きでした(笑)

世界中のフォトグラファーが、時代を飛び越えて今もなお、Leicaを使って写真を撮り続けているではありませんか!

しかも、その写真にはカメラの性能の良さとは違う、引き付けられる力がある写真が
数多く見受けられ、そこから1か月くらい、時間があるとLeicaで撮影した写真を
眺めている日々が続いたのです。

なぜ、こんな時代に逆行するようなカメラから、こんなにも自分を引き付ける写真が生まれてくるのか?
全く理解できないと思った私の好奇心はMAXになり、Leicaに興味をもちはじめ、
野田先生にカメラ屋さんで背中を押されて、Leica M9を買うことになったのでした(笑)

そして実際にLeicaを使って写真を撮っていくうちに、なぜ自分がLeicaで撮られた写真に
引き付けられたのか、おぼろげながら知ることになるのですが、その話は次回に。
あっ、フィルムはじめた理由も次回以降に(笑)